ラージャとは王様を意味する言葉で、ラージャ・ヨガはヨガの王道のことです。このヨガは瞑想の完成を目指して、その道のりを八つの部門に分けているので、八支則のヨガ(アシュタンガ・ヨガ)とも呼ばれます。それらは以下の八つになります。
⑴ ヤマ(してはいけないこと)
○アヒムサ(暴力や殺生をしない)
○サティヤ(嘘をつかない、人をだまさない)
○アスティーヤ(盗まない)
○ブラフマチャリア(食欲や性欲に対する注意)
○アパリグラハ(むさぼらない)
⑵ニヤマ(進んで行うべきこと)
○シャウチャ(体や身の回りを清潔にする)
○サントーシャ(あるもので満足する)
○タパス(忍耐する)
○スワディヤーヤ(自己を知る)
○イーシュワラ・プラニダーナ(神への信仰)
⑶アーサナ(瞑想の姿勢をつくる)
⑷プラナヤーマ(呼吸を整える)
⑸プラティヤハーラー(感覚の制御)
⑹ダーラナ(一心集中)
⑺ディヤーナ(禅定、ゆるぎない精神統一)
⑻サマーディ(三昧、解脱の境地)
瞑想をするには、まずそのための準備が欠かせません。例えば、結跏趺坐は瞑想をするためにはとても適した座法ですが、この姿勢を長時間保とうと思えば、足首や股関節の柔軟性、背中の筋力などが必要不可欠となります。ですから、ポーズの練習によって長時間の瞑想に耐えるだけの体を前もって作っておかなくてはいけません。これは、⑶アーサナとなります。同様に、安定した呼吸も必要ですので、⑷プラナヤーマによって呼吸を整えていきます。
以上の二つは主に体に関するものですが、瞑想は体だけではなく、心も整える必要があります。例えば、タバコなどを日常的に吸っている場合、瞑想中であっても喫煙の欲求が起きてくるので、普段の生活にも気を付けなくてはならないのです。ですから、まずは⑴ヤマ(してはならないこと)に取り組む必要があります。そして、⑵ニヤマによって、落ち着いた心を養っていきます。
そして、⑸プラティヤハーラーによって外側に開いている感覚を内側に向け集中状態を保ちやすいようにしていきます。これは、何かを見たり、においを嗅いだりすることで、私たちの心は活発になるので、その対象からできるだけ離しておくことです。また、できるだけ微妙な感覚、空気の匂いや、風が体に当たる感覚などに集中します。
⑹ダーラナ、⑺ディヤーナ、⑻サマーディはサンヤマと呼ばれ、瞑想の三つの段階になります。最初の⑹ダーラナは一つの対象に集中することです。例えば、呼吸や音などに意識を集中し、思考などに意識が勝手に移ってしまわないように注意します。⑺ディヤーナは、さらに集中が深まり、心からあらゆる印象が離れていきます。⑻サマーディは、⑺ディヤーナの結果として心の作用が止まり、世界をただあるがままに捉えます。また、最終的には世界そのものからも離れ、完全な涅槃(ニルヴァーナ)へと赴きます。
以上が、『ヨーガ・スートラ』に述べられたラージャ・ヨガの段階的な瞑想法ですが、この方法論は出家者の実践として捉えるべきものです。もちろん、日常的に気を付ける規則があることは言うまでもありませんが、社会生活をおくる人にとっては非常に困難なものだからです。
一方で、『バガヴァッド・ギーター』に述べられたヨガは在家者に向けられたものです。『バガヴァッド・ギーター』は『マハーバーラタ』という大叙事詩の一部で、アルジュナという戦士にクリシュナという御者が教えを説く場面ですが、この教えは在家であるクシャトリア(武士)に対して説かれているからです。ですから、日常の中でどのようにヨガの教えを活かすか(この物語の中では戦争をする戦士としての立場でどのようにヨガを行うか)ということが主要なテーマとなります。
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