ヨーガ・スートラ

ヨガ

ヨガの根本的な経典『ヨーガ・スートラ』は古代インドの聖者パタンジャリによって4~5世紀ごろに編纂へんさんされたと言われています。編纂とは「内容をまとめて書物にした」という意味で、ヨガの教え自体はさらに500年以上はさかのぼることができるでしょう。つまり、この教えは少なくとも2000年以上は学ばれてきたヨガの基本的な方法が書かれていることになります。

ヨガと聞くと、現代ではポーズを行うことが主流になっていますが、『ヨーガ・スートラ』にはポーズの話は出てきません。では何について書かれているかといえば、瞑想の方法についてです。ですから、この本は古くから伝わる瞑想の指南書と考えることができます。この瞑想法はラージャ・ヨガと呼ばれ、ヨガの王道と考えられてきました(ラージャは王様の意味)。

ラージャ・ヨガの特徴は、八つの部門で瞑想の実践的な面を指示しており、瞑想に取り組もうと思う人は、その部門に取り組みながら瞑想を深めていくことができます。その八つとは以下のものになります。

⑴ ヤマ(してはならないこと)
 ・アヒムサ(暴力を振るわない)
 ・サティヤ(嘘をつかない)
 ・アスティーヤ(他人のものを盗まない)
 ・ブラフマチャリア(禁欲)
 ・アパリグラハ(貪らない)
⑵ ニヤマ(進んで行うこと)
 ・シャウチャ(体や身の回りを清潔にする)
 ・サントーシャ(今あるものに満足する)
 ・タパス(苦行、忍耐)
 ・スワディヤーヤ(聖典などによる自己についての学習)
 ・イーシュワラプラニダーナ(神への信仰心を持つ)
⑶ アーサナ(瞑想のための座法)
⑷ プラーナヤーマ(呼吸法)
⑸ プラティヤハーラ(感覚の制御)
⑹ ダーラナ(一心集中)
⑺ ディヤーナ(ゆるぎない精神統一・禅定)
⑻ サマーディ(涅槃の境地・三昧)

この方法はインドでもよく親しまれており、インド独立の父、マハトマ・ガンジーもヨガの実践者であったことが知られています。彼の非暴力主義はこのラージャ・ヨガの規則、アヒムサを実践したものです。また、現代でもB・K・S・アイアンガーやS・K・パタビジョイスなど、多くのヨガの指導者たちがこのラージャ・ヨガの方法論を実践的なヨガの指導に取り入れています。

ヨガを行っている方でしたら、一度は学んでおきたい本ですね。

 

ヨーガ・スートラ朗読(YouTube)

 

ヨーガ・スートラ

Ⅰ 三昧の章

1. それでは、ヨーガを教えよう。

2. ヨーガとは心の働きの止滅である。

  • 心(チッタ) … サーンキヤ哲学では、ブッディ(識別知)、アハンカーラ(自我意識)、マナス(思考・欲望)の三つの心の作用がある。

3. そのとき、見る者はそれ本来の状態にとどまる。

4. その他のときは、心の働きと同一化している。

5. 心の働きには五つの種類があり、苦しみの生じるものと生じないものに分けられる。

6. それらは、正しい認識、誤った認識、想像、睡眠、記憶である。

7. 正しい認識は、直接経験すること、論理的な推理、聖典に根拠がある場合に得られる。

8. 誤った認識は、事実に基づいていないときに起こる。

9. 実体はなく、言葉の知識によって生じたものが想像である。

10. 睡眠は、心の対象が何も無いときに生じる。

11. 過去に経験した対象を失わないことが記憶である。

12. こられの心の働きは、アヴィヤーサとヴァイラーギヤによって止めることができる。

  • アヴィヤーサ … 修習、繰り返し修練すること
  • ヴァイラーギヤ … 離欲、執着から離れること。

13. 心の止滅にとどまろうとする努力がアヴィヤーサである。

14. それは、絶え間なく熱心に取り組むことで確立される。

15. 見たり聞いたりした対象に執着しないことがヴァイラーギヤである。

16. 最高のヴァイラーギヤとは、自己の本質がプルシャ(真我)であると悟ることによりグナ(心や体)への執着から解放されることである。

  • プルシャ  サーンキヤ哲学では、プルシャ(純粋意識)とプラクリティ(根源物質)という永続する二つの原理があり、プルシャがプラクリティを見ると万物が展開すると説明する。
  • グナ  万物が展開した際に現れる原質。サットヴァ(純質)・ラジャス(激質)・タマス(暗質)という三つの性質がある。

17. サンプラジュニャータ・サマーディには、論理性、考察、至福、自我意識が伴う。

  • サンプラジュニャータ・サマーディ  認識のあるサマーディ。

18. アヴィヤーサによって心に想念が生じなくなれば、後はサンスカーラのみが残る。

  • サンスカーラ  潜在印象。過去の縁起によって無自覚に生じる心の作用。

19. プラクリティに束縛されている者は、神々であっても繰り返し生まれ変わる。

20. その他の人々(ヨーギー)は、信念、努力、想起、サマーディ、智慧によって解脱する。

21. 熱意のある人に、サマーディは速やかに訪れる。

22. この成就に必要な時間は、実践の度合い(緩やかか、ほどほどか、熱心か)によって変わる。

23. または、イーシュヴァラへの祈念によってもそれは可能である。

  • イーシュヴァラ  至高のプルシャ、ブラフマン

24. イーシュヴァラとは、煩悩、カルマ、カルマの結果、欲望から影響を受けない至上のプルシャである。

  • カルマ  行為。行為の原動力となるもの。

25. そこには、至高の全知の種が備わっている。

26. イーシュヴァラは時間を超越しており、太古の師にとっても師でもある。

27. これを音で表したものが、聖音オームである。

28. その意味をよく念想し、繰り返し唱えるべきである。

29. この実践によって全ての障害が取り除かれ、内なる自己に目覚める。

30. 病気、無気力、疑い、不注意、怠惰、誤った認識、集中を維持できないこと、獲得した境地を維持できないこと。これらが障害となる心の乱れである。

31. 心の乱れによって、精神的苦痛、失望、体の震え、呼吸の乱れが起こる。

32. 一つの真理に集中して修練することが、これらの障害を取り除く方法である。

33. 他人の幸福を共に喜ぶこと、他人の不幸を共に悲しむこと、徳のある人を賞賛すること、不徳の人に対して無関心であることによって心は平安を保つ。

34. または、制御された呼吸や止息によって。

35. または、感覚の対象へ集中することでも心の平安は得られる。

36. または、平安に満ちた内的な光に集中することによって。

37. あるいは、執着の対象から心を離すことによって。

38. あるいは、夢の中で得られる知識によって。

39. あるいは、自分にとって好ましいものを瞑想することによって。

40. 一心に集中することによって、微細な原子から無限の宇宙まで解き明かすことができる。

41. 透明な水晶が近くに置かれたものの色や形を映すように、心の動きが抑制されたヨーギーの認識主体と認識過程は、認識対象と一つになっている。これがサマーパッティである。

  • サマーパッティ  合一。瞑想が深まり、瞑想の対象と一体となった状態。

42. サヴィタルカ・サマーパッティでは、瞑想の対象に対する言葉、形、知識、言葉による概念がまだ混在している。

  • サヴィタルカ・サマーパッティ  観念のある禅定。

43. 記憶が消え去り、対象の形だけが照らされ、それ自体のあり様が空のようになっていること。これがニルヴィタルカ・サマーパッティである。

  • 空(スンニャー)  実態のないこと。
  • ニルヴィタルカ・サマーパッティ  観念のない禅定。

44. そして、さらに精妙な対象における、サヴィチャーラ・サマーパッティとニルヴィチャーラ・サマーパッティがある。

  • サヴィチャーラ・サマーパッティ  識別のある禅定。
  • ニルヴィチャーラ・サマーパッティ  識別のない禅定。

45. 精妙な対象は、プラクリティの根源状態へと還元される。

46. 以上がサヴィージャ・サマーディである。

  • サヴィージャ・サマーディ  種のある三昧。元の精神作用に戻る可能性のある三昧。

47. ニルヴィチャーラ・サマーパッティによって一切の汚れが浄化されると、至高の真我が照らし出される。

48. このとき、絶対的真理を見る。

49. この絶対的真理は、聖典で学んだり、推察され知識とは全く異なっている。なぜなら、それらの知識は特定の対象に限定されているから。

50. この絶対的真理の光によって、すべてのサンスカーラは消滅する。

51. この光さえ消滅したなら、一切が消滅する。これがニルヴィージャ・サマーディである。

  • ニルヴィージャ・サマーディ  種のない三昧。解脱の完成。

Ⅱ 実修の章

1. タパス、スワディヤーヤ、イーシュワラプラニダーナ、これらを実修することがクリア・ヨーガである。

  • タパス  忍耐すること。感覚の誘惑などに耐える事。
  • スワディヤーヤ  聖典などを学ぶことによって自己を知ること。
  • イーシュヴァラプラニダーナ  イーシュヴァラへの祈念。
  • クリア・ヨーガ  実修のヨーガ。

2. それらは、煩悩を浄化してサマーディへと導く。

3. 煩悩とは、無知、自我意識、執着、憎悪、生きることへの欲求である。

4. 無知はその他の煩悩(それらは休止していたり、弱まっていたり、断続的であったり、増大していたりする)が生じる原因である。

5. 無知とは、変化するものを変化しないと思うこと、汚れているもの清いものだと思うこと、苦しみを楽しみだと見ること、私ではないものを私だと認識することである。

6. 自我意識とは、見る者(プルシャ)と見る力(心の認識作用や五感)を同一視することである。

7. 喜びを原因として生じるのが執着である。

8. 苦しみを原因として生じるのが憎悪である。

9. 生きることへの欲求は人間の好ましい欲望であり、賢者にすらある。

10. これらの煩悩がまだ微細な状態であれば、原初の状態へと回帰することによって取り除くことができる。

11. すでに活発となった心の働きは、瞑想によって取り除くことができる。

12. 煩悩から起こるカルマの印象は蓄えられていて、今生や来世で結果として生じる。

13. これによって、生まれ変わりと苦楽の経験が生じる。

14. 煩悩によって行為をすれば、良い行いに対しては喜びが、悪い行いに対しては苦しみがその結果として生じる。

15. 賢者にとっては、この世のあらゆるものが苦しみである。なぜなら、万物は常に変化し続け、煩悩は絶え間なく苦楽の原因となるサンスカーラを生み、三つのグナは互いに相反するからである。

16. したがって、これから生じる苦しみは避けるべきである。

17. この苦しみの原因は、見る者と見られるものとの結合である。これを切り離さなければならない。

18. 見られるものには、明るさ(サットヴァ)、活動(ラジャス)、惰性(タマス)の三つの性質があり、元素と感覚器官を持っている。それよって、プルシャに経験とそれからの解放が生じる。

19. グナには、特定の差異がある状態とない状態、識別される状態とされない状態が想定される。

20. 見る者とは、純粋な見る原理そのものである。しかし、心を通して見ているので、その純粋さは失われている。

21. 見られるものは、見る者によって存在する。

22. 見られるものは共有性によって存在しているので、解脱した人にとっては消滅しているが、他の人にとっては存在し続けている。

23. 所有者(プルシャ)と所有物(プラクリティ)は、両者の本性と力を認識するために結合する。

24. この結合の原因は無知である。

25. この無知がなければ、結合は起こらない。その切り離された状態をカイヴァリヤと呼ぶ。

  • カイヴァリヤ  独存。プラクリティとの結合が切れ、プルシャが孤立した状態となること。

26. 揺るぎない識別によって、その結合は切断される。

27. その人は、最高の七つの段階の智慧を得る。

28. ヨーガの各部門を実習することによって不純物が消え、徐々に智慧が輝き出て、識別知が目覚める。

29. それらは、⑴ヤマ、⑵ニヤマ、⑶アーサナ、⑷プラーナーヤーマ、⑸プラティヤーハーラー、⑹ダーラナ、⑺ディヤーナ、⑻サマーディの八つである。

  • ⑴ヤマ  してはいけないこと。 
  • ⑵ニヤマ  進んで行うべきこと。
  • ⑶アーサナ  瞑想のための座法。
  • ⑷プラーナーヤーマ  呼吸の制御。
  • ⑸プラティヤーハーラー  感覚の制御。
  • ⑹ダーラナ  一心集中。
  • ⑺ディヤーナ  禅定。絶え間ない集中状態。
  • ⑻サマーディ  三昧。解脱の境地。

30. ヤマは、①アヒムサー、②サティヤ、③アスティーヤ、④ブラフマチャリア、⑤アパリグラハの五つである。

  • ①アヒムサー  暴力を振るわない
  • ②サティヤ  嘘をつかない
  • ③アスティーヤ  他人のものを盗まない
  • ④ブラフマチャリヤ  禁欲
  • ⑤アパリグラハ  貪らない

31. これらは、いかなる出生、場所、時代、環境であっても、守るべき偉大な戒律である。

32. ニヤマは、①シャウチャ、②サントーシャ、③タパス、④スヴァディヤーヤ、⑤イーシュワラプラニダーナの五つである。

  • ①シャウチャ  清潔にする。
  • ②サントーシャ  今あるもので満足する。
  • ③タパス  忍耐する。
  • ④スワディヤーヤ  聖典などによる自己学習。
  • ⑤イーシュヴァラプラニダーナ  至高神イーシュヴァラへの祈念。

33. 否定的な考えが浮かんだときは、肯定的に物事をとらえてみるとよい。

34. 殺生や暴力は、自分が起こしたもの、他人によって起こされたもの、容認しているものがあり、それらは、弱いものか、中ぐらいのものか、過激なものかの差はあるが、その原因は貪欲や怒り、妄想であり、それらが苦痛と無知をさらに生じさせると見て、この衝動に対抗すべきである。

35. アヒムサを徹底する人の周りでは争いが無くなる。

36. サティヤに専念した人の行為は真実となる。

37. アスティーヤを徹底する人には全ての宝が集まる。

38. ブラフマチャリヤに専念する人は活力を得る。

39. アパリグラハが確立されると、過去生と未来の知識を得る。

40. シャウチャによって、自分や他人の体に嫌悪が起きる。

41. これにより、サットヴァ性の喜び、真の自己認識へ導かれる。

42. サントーシャによって、最上の喜びを得る。

43. タパスによって、不浄がなくなり、身体と感覚器官が整う。

44. スヴァディヤーヤによって、霊的対話が得られる。

45. イーシュワラプラニダーナによって、サマーディは成就する。

46. アーサナは、快適で安定していなければならない。

47. それは、瞑想の姿勢を維持する努力が必要なくなり、無限に対して集中することによって完成へと向かう。

48. そのとき、苦楽などの二元性に惑わされることが無くなる。

49. アーサナが習得されたら、次に呼吸が制御されなくてはならない。これがプラーナーヤーマである。

50. 呼吸は、外へ、内へ、停止のいずれかであり、場所、時間、回数によって調整され、次第に長く細くになる。

51. 内や外へ行う呼吸を超えた、四番目のプラーナーヤーマがある。

52. その結果、内なる光をさえぎっていたベールが取り去られる。

53. そして、心は集中力を得る。

54. 意識を感覚器官の対象から離し、心が感覚対象を追い求めるのを阻止することがプラティヤーハーラーである。

55. これによって、感覚器官は高い従順さを得る。

Ⅲ 成就の章

1. ダーラナとは、心を一つの対象にとどめておくことである。

2. ディヤーナとは、その対象に対する集中が途切れなく持続されている状態である。

3. サマーディとは、瞑想の対象だけが照らし出され、その対象のあり様が空のようになっていることである。

  • ※1-43を参照

4. これら三つはサンヤマと呼ばれる

5. それにより、智慧が輝きだす。

6. サンヤマは段階的に達成される。

7. この三つは前の五つの部門よりも内的なものである。

8. しかし、ニルヴィージャ・サマーディから比べると、それらもまた外的なものである。

9. 雑念を生じさせるサンスカーラから、止滅に向かうサンスカーラへと心を結び付けていくことが、ニローダ・パリナーマである。

  • ニローダ・パリナーマ  止滅への変化が繰り返されること。

10. これによって、サンスカーラは平穏なものへと変わっていく。

11. 心が様々な対象へと活発に向かっている状態から、一つの対象に集中し続けている状態へと置き換えていくことが、サマーディ・パリナーマである。

  • サマーディ・パリナーマ  サマーディへの変化が繰り返されること。

12. 心の止滅へと向かう想念が、現在湧き上がる想念と同一であるとき、エーカーグラ・パリナーマである。

  • エーカーグラ・パリナーマ  一点集中への変化が繰り返されること。

13. 以上で、元素と感覚器官における、現象、時期、状態における変化が説明された。

14. すでに静まった現象、今現れている現象、これから現れるであろう現象は、それらの基礎となる実態に基づいている。

15. この連続の差異が、原質の変化の原因となる。

16. この変化にサンヤマを行うことで、過去と未来の知識が得られる。

17. 普通は混同している音、意味、想念に対してサンヤマを行うことで、あらゆる動物の声(鳴き声)の意味を知ることができる。

18. 心に生じる様々なサンスカーラにサンヤマをすることで、過去生の知識を得ることができる。

19. 他者の想念にサンヤマを行うことで、その人の心の様子を知ることができる。

20. しかし、これによってその人の深層心理まで読み取ることはできない。

21. 自身の体にサンヤマを行うことによって、他者が形態を知覚するための光と目が結びつかなくなるため、ヨーギーの体は見えなくなる。

22. 同様に、発せられた音声などの消失も説明することができる。

23. カルマにはすぐに現れるものと、後で現れるものの二種類があり、これらにサンヤマを行うことで死期を知ることができる。また、死の前兆によってもそれを知ることもできる。

24. 慈悲の心にサンヤマを行うことで、ヨーギーは力を得る。

25. 象などの力の強い動物にサンヤマを行うことで、その動物の力を得ることができる。

26. 内なる光にサンヤマを行うことによって、微細なもの、隠されたもの、遠くのものを知ることができる。

27. 太陽にサンヤマを行うことによって、太陽系に関する知識が得られる。

28. 月にサンヤマを行うことで、星の位置に関する知識が得られる。

29. 北極星にサンヤマを行うことで、星の運行に関する知識が得られる。

30. へそのチャクラにサンヤマを行うことで、体の構造についての知識が得られる。

31. のどのくぼみにサンヤマを行うことで、空腹と咽の渇きを取り除くことができる。

32. クールマ・ナ-ディにサンヤマを行うことで、体は丈夫になる。

  • クールマ・ナーディ  喉の下にある、亀の形をした管。

33. 頭頂の光にサンヤマを行うことで、悟りを開いた人達の姿が見える。

34. 以上のことは、直観によっても知ることができる。

35. 心臓にサンヤマを行うことで、心についての知識が得られる。

36. サットヴァとプルシャは異なるものだが混同しやすい。この二つを同じものと見ることで、様々な経験が生じる。これにサンヤマをすることで、プルシャに対する知識を得ることができる。

37. この知識によって、超感覚的な五感が生じる。

38. これらは日常の中ではシッディとなるが、瞑想の障害となる。

  • シッディ  ヨーガの過程で生じる超能力。

39. 心と体の束縛を緩め、心の道筋を知ることで、心を他人の肉体に入れることができる。

40. ウダーナによって、ヨーギーは水の上、沼地、いばらの上を歩くことができるようになる。

  • ウダーナ  上昇する気の流れ。

41. サマーナによって、ヨーギーは熱を生み出すことができる。

  • サマーナ … へそのあたりに位置し、主に消化に関わる気。

42. 耳と空間にサンヤマを行えば、超感覚的な聴力を得ることができる。

43. 体と空間の関係にサンヤマを行えば、ヨーギーの体は綿わたのように軽くなって、空を飛ぶことができる。

44. サンヤマによって、心は体の外でも活動することができるようになる。これによって、智慧の光をさえぎっていたベールが剥がれる。

45. 元素の粗大な面から、精妙な構成におけるまで、サンヤマによってその元素を支配することができる。

46. それによって、体を小さくする、体を出現させる、病気などの害から体を守るなどの力が得られる。

47. 完成された身体は、美しさ、気品、強さ、ダイヤモンドのような堅固さを持つ。

48. 知覚作用と自我意識、プルシャの繋がりにサンヤマを行うことで、感覚器官を支配することができる。

49. これによって、心と同じように体を早く動かすことのできる能力、五感を使わずに知覚する能力が生じ、プラクリティへの支配力を得る。

50. サットヴァとプルシャとの違いを知ることで、全ての存在を支配し、すべてを知る者となる。

51. これらに対してすら無執着であることによって、束縛の種は取り去られ、カイヴァリヤが実現される。

52. たとえ神々から称賛を得ても、それを喜んではならない。それによって、再び輪廻の流れに戻る可能性が生じるからである。

53. 瞬間瞬間にサンヤマを行うことで、識別知が得られる。

54. それによって、種類、特徴、場所などが似ていて区別することが難しかったものを、認識することができる。

55. 識別によってあらゆるものの本性を知り、それらを解放に導く。

56. サットヴァがプルシャと同じぐらい浄化されると、カイヴァリヤが訪れる。

Ⅳ 独存の章

1. シッディは、前世の影響、薬草、マントラ、タパス、サマーディによって生じる。

2. 異なる種への転生は、プラクリティの流れによって生じる。

3. 行為の動機がプラクリティの流れの原因となるのではない。むしろそれは、堰(せき)を切って畑に水を引く農夫のように、プラクリティの流れの障害を取り除くのである。

4. 自我意識によって、心が作り出される。

5. 心はその活動の性質において、集中していたり、散漫な状態となる。

6. 瞑想による心の集中状態では、カルマの蓄積は生じない。

7. ヨーギーのカルマは白くも黒くもない。その他の人のカルマは、白、黒、灰色の三つに色分けすることができる。

8. この三つのカルマは蓄積され、それが今生や来世で機会に応じて願望となって生じる。

9. サンスカーラと記憶は繋がっているので、たとえ生まれる時代や場所が変わっても、サンスカーラは変わらずにその人に付き従う。

10. 生への欲が永遠のものであるので、これらの願望も永遠からのものである。

11. 願望は、原因と結果の基礎になる対象と共にあり、その対象が消えると願望もまた消える。

12. 現れ方の違いはあるが、願望はそれ本来の姿として過去や未来に存在している。

13. それらは、グナの性質に基づいて精妙な状態で現れる。

14. その対象の本質はグナの変化の一貫性に基づいている。

15. 同じ対象でも見る人の心によって全く違ったものとして現れる。したがって、対象と心は違うものであるということが理解される。

16. 事物の存在は心に依存しているわけではない。もしそうであるなら、心に認識されないとき、その事物は存在しなくなってしまうだろう。

17. 心がその事物を認識するかどうかによって、その事物は知られたり、知られなかったりする。

18. プルシャは不変であるので、心の動きは常に知られている。

19. 心はそれ自体で輝くものではない。それはプルシャによって見られるものであるから。

20. また、心は二つのものを同時に認識することはできない。

21. もし心が別の心によって知覚されるのであれば、心は知覚する数だけ無限に存在することになり、記憶の混乱を生じるだろう。

22. プルシャは不変であり、その本性を見ることによって、心は自己を知る。

23. 見る者と見られるものに染められることで、心はあらゆるものを知ることができる。

24. 心は無数の願望によって動き回るが、心はプルシャのためにこそ働くものである。

25. 心とプルシャの違いを知る人は、もはや心を自己(アートマン)であると見ることはない。

26. この識別知を得た人は、カイヴァリヤへと赴く。

27. その間にも、過去に生じているサンスカーラから様々な心の作用が生じてくる。

28. それは、これまで説明した煩悩の対処法によって取り除けばよい。

29. 識別知を確立した人は、最上の知識に対しても無関心になる。これをダルマメーカサマーディと呼ぶ。

  • ダルマメーガ・サマーディ  法雲三昧。

30. このサマーディによって、煩悩とカルマが消え去る。

31. そのとき、智慧を覆っていた汚れは全て取り除かれ、現れてくる無限の智慧によって、これ以上知るべきものはもう無い。

32. これで、グナの変化の過程におけるすべての目的が果たされた。

33. 瞬間瞬間に起きていた変化の連続は、ここに終息する。

34. グナがプラクリティの本来の姿へと戻れば、そのとき、カイヴァリヤは実現する。プルシャの目的は無くなり、純粋意識は本来の状態へと戻る。

終わり

ⒸNaoto Okamoto

コメント

  1. C より:

    ヤマ、ニヤマ、解説が重複しています

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