非二元とはどんな教えか?
真我とは何か?
「私はいない」ってどういうこと?
ヨガ講師でもあるRitaと対話形式で読む非二元と悟りの話し。
「お前はすでにそれである」って言われても、あなたは素晴らしい存在なんだって伝えても、「私がそんなわけないです」って否定する人すごく多いんですよね。だけど、どうやったって逃げられないよねって話ですよね。事実そうだしっていうのが、今すごくガーンって、この対話で落ちました。
目次
1章 非二元とは何か
非二元とはどんな教えか
非二元の三つの視点
2章 ヴェーダーンタの教え
ヴェーダーンタとは
ブラフマンとアートマンとは何か
不死の魂
3章 二元論とは何か
存在とは何か
知識によって解脱する
『ヨーガ・スートラ』と八支則
プルシャをどう理解するか
4章 二元論の否定
結合は起きていない
実践は必要ない
非二元と実践のバランス
アートマンの二元性の否定
5章 世界の本質と見る意識
世界はブラフマンを本質としている
見る意識としてのブラフマン
非二元の問題
映画のストーリーを変える
6章 創造主の働き
ヴィシシュタードヴァイタ・ヴェーダーンタ
神の創造
行為に束縛されない
神に対する親愛
バクティ・ヨガとは
象徴を拝む
神との関係
7章 ワンネスの起源
ヴェーダーンタは日本で知られてない
現代のワンネス論
8章 仏教の不二
東洋は未分化
大乗仏教の不二とは
悟りと世俗の道理
言葉によって世界ができる
9章 思考の捉え方
思考の反応
思考を選ぶ
怒りや恐怖を手放す
10章 非二元と悟り
近代の非二元
真我の実現
真我の視点
11章 世界は無知か神の創造か
真我は創造主か
12章 現代ノンデュアリティの矛盾
ネオ・アドヴァイタの思想
ネオ・アドヴァイタの矛盾と問題
全てが愛であるとは
神秘体験は必要ない
輪廻はあるのかないのか
自我と無我
13章 一元論とは何か
パラブラフマンとは何か
宇宙創造の原理
二つのプラクリティ
四つの原理
自我は神である
1章 非二元とは何か
岡本 今回は非二元・ノンデュアリティの教えと悟りについて、ヨガ講師のリタさんと一緒に色々とお話ししていきたいと思います。
よろしくお願いします。
リタ よろしくお願いします。
今回は非二元の話ということで、楽しみです。
非二元とはどんな教えか
岡本 リタさんはヨガ哲学を学ばれているので、非二元も同じインドの古典思想として共感できる部分も多いかと思います。非二元については、拙著の『はじめての非二元・ノンデュアリティ』でも詳しく解説していますので、そちらも参考にしていただければと思います。
そもそも僕が非二元の本を書いたのは、インド哲学を紹介しているYouTubeチャンネルでシャンカラの非二元の動画を出したときに多少反響があって、「非二元って興味ある人いるんだな」と思ったのがきっかけだったんですよ。
シャンカラは八世紀のインドの哲学者なんですが、非二元と呼ばれるアドヴァイタ・ヴェーダーンタ(不二一元論)の創始者ですね。そこから、色々と非二元の話しをしている人の動画を見たり本を読んだりしてみたんですが、インド思想の非二元とは内容がかけ離れていたので、「これは何だろう?」っていうのが非二元の最初の印象でしたね。
リタ 現代のノンデュアリティ界隈をあまり知らなかったんですね。
岡本 知らなかったですね。なんとなく「ノンデュアリティ」って言葉は知っていましたけど、そのときはシャンカラとは結びつかなくて、スピリチュアル系の思想なのかなって思っていたんです。それで、話しを聞いてみたら、「スピーカーさん」って呼ばれている人たちがたくさんいて、色んな非二元の発信をしているんだなと。
リタ その人たちがどんな話しをしているんだろうっていう感じで調べてみたわけですね。
岡本 そうそう。それで、そのスピーカーさんたちは、一瞥体験と呼ばれる神秘体験を元に非二元についての解釈を喋っていて、「私はいない」とか、「全体は愛です」みたいな話から、「自由意志はない。全自動です」とか、体感ワークとか、それぞれの視点から非二元についての色んな解釈が溢れている感じですよね。
リタ 確かに。なんでもありになっている気もしますね。
岡本 ですので、その辺をまとめて、古典の非二元から全体を通して、非二元とはどういう教えなのかというところをお話ししていきたいというのが今回の趣旨です。
リタ 非二元の話がよく分からなくて迷ってしまう、非二元難民って言われている人たちがいるのは知っていました?
岡本 そうですね。話しを聞いてみると、そりゃ難民になるよねって思いました。覚醒者みたいな人が自分の感覚で好き勝手にしゃべって、その理由を聞いても「思考では分からない」みたいな返しをされるわけですよね。話しを聞くと、「目覚め体験をすると悩みのない境地に達する」みたいな印象を受けるんですが、そのスピーカーさんたちもそれによって自分の悩みが解決したのかと言えば、「全体から全て起きているだけです」という漠然とした話しをされて、「じゃあ目覚めって何なの?」って疑問が解決されないのでモヤモヤする感じでしょうか。全体から起きているだけだったら何もしようがないですよね。でも「目覚めがある」とか言って、ワークショップとか目覚めセッションみたいなものに誘導されてお金を取られるという。それはどうなんだろうとは思いますよね。
非二元の三つの視点
まあ、その辺の問題はまた後で解説するとして、とにかく非二元の話しを始めましょう。
まずは、「非二元」という言葉の定義ですね。これは先ほども話した、シャンカラという八世紀のインドのバラモン(僧侶)が提唱したアドヴァイタ・ヴェーダーンタ(不二一元論)という思想が起源になっています。「アドヴァイタ」の「ア」が否定形で「ドヴァイタ」が二元論になるので、略して「非二元」ですね。
それで、今回は非二元について三つの観点からお話ししていきたいと思います。まずは、先ほどあげたシャンカラのアドヴァイタです。この非二元がどういう教えなのかについてはこの後詳しくお話ししていきたいと思いますが、とにかく一つの指摘は「梵我一如(ぼんがいつにょ)」と呼ばれる考え方です。これは、ブラフマンと呼ばれる宇宙の根本原理とアートマンと呼ばれる個我、あるいは自我が同一であるという見方です。
次に、仏教の不二の思想について考えてみたいと思います。これは『維摩経(ゆいまきょう)』という大乗仏教の主要な経典で説かれている教えですが、「清いも汚いもない」とか、「涅槃を喜ばず輪廻を苦しまず」みたいな、物事を二分しないという思想ですね。
普通、仏教やヨガの修行道なんかでは、輪廻から解脱するために涅槃を目指して頑張って瞑想して煩悩を無くしていくわけですよね。これは特に戒律を厳守する初期仏教で明確に説かれている立場ですが、紀元後から広がってくる大乗仏教になると、そういう出家修行道の基準みたいなものが崩されていくわけです。単に涅槃を目指すだけでなく、輪廻している状態と涅槃を平等に見て執着を手放すことが重視されるんですね。要するに、輪廻も涅槃も一つの状態にすぎず、夜寝ている時と昼間活動している時はどちらが優れていると言えないように、対立項を排除していって無分別の境地に達することが悟りであるという考え方です。それは言葉では説明できないので沈黙するしかない。いわゆる「不立文字」とか、「悟りは言葉にできない」のような、大乗仏教でよく持ち出される主題ですよ。この不二の思想を非二元の二つ目の視点として考えてみたいと思います。
最後に、現代の非二元・ノンデュアリティです。これは、海外ではトニー・パーソンズ氏とか、日本だと大和田菜穂氏などが提唱している思想で、「全体が真実で私はいない」というような考え方ですね。これは歴史的な哲学背景があるというよりは、散歩中などに唐突に起きる目覚め体験によって真理を得たというもので、それをどのように感じるかは体験者の印象によるところが大きいという問題もあります。
結局、ここがすごくややこしくて、歴史的な非二元はブラフマン(宇宙の根本原理)とアートマン(個我・自我)の同一性、そして普遍的意識としての真我を説くので、「お前はそれである」とか、「私はある」とよく言われたりするんですが、そこが「私はいない」になっているんですね。だから、アートマンや真我の実在を説く不二一元論や近代のラマナ・マハルシ**なんかの非二元と、一方でそういう普遍的自己を全く立てない、「私はいない」系の非二元は同列に語るのが難しいです。ですので、本書では後者の方をネオ・アドヴァイタと呼んで区別してお話ししたいと思います。
*涅槃は最終的な悟りの境地で、ニルヴァーナとも呼ぶ。
**ラマナ・マハルシは二〇世紀インドの聖者で真我の実在を説いた。
リタ 「非二元」という呼び方が同じだとごっちゃになっちゃいますけど、こうやって区別すると分かりやすいですね。
岡本 そうそう。「非二元」と呼ばれてはいても、言っていることは違うんですよ。『はじめての非二元・ノンデュアリティ』の中でも、ネオ・アドヴァイタの思想については少し批判的に書きましたけど、教説自体はかなりややこしくて、非二元難民のような迷う人が出ているという意味で、ちょっと注意する必要があるという気がしますね。
では、次の章からまずは古典インド思想の非二元についてお話ししていきたいと思います。
リタ よろしくお願いします。




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