はじめてのヨーガ・スートラ

お知らせ

『ヨーガ・スートラ』は、世界で最もよく学ばれているヨーガの経典です。この本の内容についてはあまり知らないけれど名前ぐらいは聞いたことがある、という方も多いかもしれません。ヨーガには古くから様々な方法が知られていますが、スートラはその中でも特に瞑想について書かれており、瞑想について深く学んでみたいと思っている方にとっては最高の教科書になるでしょう。
本書では、はじめてスートラを学ぶ方に向けて、主要だと思われる思想を中心にわかりやすく解説していきます。

目次

1はじめに
 『ヨーガ・スートラ』の成立
 ヨーガ・スートラの構成
 ラージャ・ヨーガの特徴
 ラージャ・ヨーガの目的
 なぜ心の働きを止めるのか?
 この世界で生きることは苦しみ
2 サーンキヤ哲学
 サーンキヤ哲学の宇宙論
 心は物質である
 プルシャとプラクリティ
3 心の苦しみの原因
 万物が変化し続けること
 執着を手放す
4 サンスカーラ理論
 悩みや苦しみは自分の作り出したサンスカーラによる
 喜びを手放す、他人を否定しない
 願望を持つことの問題点
 仕事などでのサンスカーラの影響
 自分の問題と他人の問題を分けて捉える
 サンスカーラの終わりなき苦しみ
5 三つのグナの対立
 トリグナの対立
 私が怒っているのではない
 トリグナによる苦しみ
 私たちが無知であること
6 心の働きを止める、消滅させる
 心を止める
 心を殺せ
 自殺について
7 本当の私とは何か
 プルシャの三つの性質
 チット(意識)
 私は変わらない
 プルシャの本性
 サット(存在)
 アーナンダ(至福)
 仏教の無我論
8 苦しみからの解放
 スートラでのヨーガの意味
 結合の原因
 カイヴァリヤ
9 アヴィヤーサとヴァイラーギヤ
 アヴィヤーサ
 ヴァイラーギヤ
10 八支則のヨーガ
 八支則について
 瞑想におけるサンスカーラの影響
11 ヤマ、ニヤマ
 ヤマ
 ニヤマ
12 アーサナ、プラーナーヤーマ
 ハタ・ヨーガ
 アーサナの実践
 永遠の中で瞑想する
 プラーナーヤーマ
13 プラティヤーハーラ
 模造品のように
 微細な感覚に集中する
14 ダーラナ・ディヤーナ
 ダーラナ
 ディヤーナ
15 段階的なサマーディ
 心の三つの作用
 段階的なサマーディ
 煩悩が薄れていく
 合一(サマーパッティ)
 対象から意味が失われる
 識別のない心の状態
 絶対的真理の獲得
 最後のサマーディ、カイヴァリヤへ
16 解脱論
 解脱の意味について
 解脱の難しさ
 肉体から離れる
 0に戻していく
 透明のカルマ
 解脱と愛
 他力の思想
17 神について
 神の概念
 宗教とは何か
 不二一元論
 悟りや宗教の問題について
18 宇宙は繰り返し生まれる
 宇宙の消滅と解脱
 宇宙には始まりも終わりもない
19 おわりに
ヨーガ・スートラ
 1三昧の章
 2実修の章
 3成就の章
 4独存の章

1はじめに

 それではこれから、ヨーガの経典『ヨーガ・スートラ』について学んでいきましょう。現代ではヨガと短く表記するのが一般的ですが、本書では、サンスクリット語の発音に近いヨーガという表記を使いたいと思います。

 『ヨーガ・スートラ』(以下スートラ)は、世界で最もよく学ばれているヨーガの経典です。この本の内容についてはあまり知らないけれど、名前ぐらいは聞いたことがある、という方も多いかもしれません。ヨーガには古くから様々な方法が知られていますが、スートラはその中でも特に瞑想について書かれており、瞑想について深く学んでみたいと思っている方にとっては最高の教科書になるでしょう。

 本書では、はじめてスートラを学ぶ方に向けて、主要だと思われる思想を中心に解説していこうと思います。そのため、全ての詩節について順番に解説することはしませんが、巻末に全文を載せていますので、そちらを参考にしながらお読みください。また、日本ではヨーガの思想よりも仏教の方がなじみが深いので、仏教の話も交えながら進めていきたいと思います。

『ヨーガ・スートラ』の成立

 それでは、はじめにスートラの成立からお話ししていきましょう。この本は4〜5世紀ごろ、パタンジャリというインドの聖者によって、編纂されたと伝えられています。編纂とは編集したという意味で、このスートラの思想はパタンジャリが発案したのではなく、彼がスートラを書く以前から知られていたと考えられています。この本に書かれているラージャ・ヨーガという行法は、少なくとも紀元前までは遡ることができるでしょう。まずは、このヨーガの思想が大変古いものであるということをお伝えしておきたいと思います。

 現代ではたくさんの自己啓発本や心理学書、瞑想の手引き書などがありますから、「なぜ今から1,500年以上も前に書かれた本をわざわざ読まなければならないのか」と疑問に思う方もおられるでしょう。また、「現代の著者の方が、科学的な検証によって正確な情報を提供してくれるのではないか」とお考えになるかもしれません。しかし私はいつも、「できるだけ古くから読み伝えられてきた聖典を、ご自身の考えの根拠にすると良いですよ」とお伝えしています。

 その理由は何と言っても信頼性です。スートラに関して言えば、1,500年もの間その時代時代の一級の哲学者や聖者たちが、この本の内容を正当なものだと認めているからです。彼らが「確かに、この本に書いてある方法で人々は苦しみを取り除き、悟りを開くことができる」と認めてきたので、この本に書かれていることを信頼して読むことができます。もし、この本の内容がいい加減なものであったなら、とっくに論破されて、時代に埋もれてしまったことでしょう。このように考えれば、現代のベストセラーのような本であっても、1,500年間も残り続けるものがその中に一体何冊あるでしょうか。

 こういった意味で、私たちはこれからスートラについて十分に時間をかけて学ぶ価値があると判断することができるのです。また、分からない所があったとしても、それはまだ自分の理解が届かないだけで、そのような境地もあるのだと想像することもできます。

 悟りや瞑想などについて考える場合、この点は特に重要です。瞑想には、その人を惑わすようなビジョンがたくさん存在するからです。瞑想中に神秘的な体験をすると、それがあたかも自分だけに起きた奇跡であると勘違いすることもよくあります。ですから、個人の体験だけで書かれた本の内容には、多くの落とし穴もあると思って注意しておかねばなりません。もちろん、それらが全て間違っているとか、読んではならないと言うつもりはありませんが、できるだけ確かな聖典をご自分の考えの土台にして判断するべきです。でなければ、私たちは一体何人の自称悟った人たちを相手にせねばならないというのでしょうか。こういった人たちの言葉にいちいち本気で耳を貸すなら、様々な意見に惑わされ、何が正しい事なのか分からなくなってしまうでしょう。

ヨーガ・スートラの構成

 では次に、スートラの構成について見ていきましょう。スートラは全部で195節あり、以下の四つの章で構成されています。

1章  三昧(サマーディ)の章
2章 実践(サーダナ)の章
3章 成就(ヴィブーティ)の章
4章  独存(カイヴァリヤ)の章

 これらの章は必ずしも順序立てて話しが進むわけではなく、同じ内容が章ごとに繰り返し述べられることもあります。大まかにその内容をお話しすると、⑴三昧の章は、心についての説明と段階的なサマーディの解説。⑵実践の章はラージャ・ヨーガの八支則の解説。⑶成就の章は瞑想の実践によって得られる能力の解説。⑷独存の章は、瞑想の最終的な境地であるカイヴァリヤ(独存)について、となります。

 195節しかありませんので、読もうと思えば1時間ぐらいで読み終えることができるかもしれません。しかし、その内容は非常に難解なので、理解するためには長い時間を必要とするでしょう。

 では続いて、スートラの内容について見ていきましょう。

ラージャ・ヨーガの特徴

 スートラの中で述べられているヨーガの方法論はラージャ・ヨーガと呼ばれています。これは「ヨーガの王道」というような意味で、この方法が古くから修行者の間でよく知られていた主要なヨーガであったことが推察されます。

 スートラのヨーガをラージャ・ヨーガと呼んではいますが、本文にこの言葉は出てきません。もちろん、パタンジャリが自分で書いたヨーガを王道と呼ぶのは不自然ですので、これは後世の人が付けた呼び名ということになるでしょう。スートラでは、アシュターンガ・ヨーガまたはクリヤ・ヨーガという名前で呼ばれています。アシュターンガとは八本の枝を意味する言葉で、アシュターンガ・ヨーガは八つの段階(八支則)によって最終的な悟りを目指すヨーガです。それは、以下の八つになります。

⑴ヤマ(してはいけないこと)
 ①アヒムサー(暴力を振るわない)
 ②サティヤ(嘘をつかない)
 ③アスティーヤ(他人のものを盗まない)
 ④ブラフマチャリヤ(禁欲)
 ⑤アパリグラハ(貪らない)
⑵ ニヤマ(すすんで行うこと)
 ①シャウチャ(体や身の回りを清潔にする)
 ②サントーシャ(今あるものに満足する)
 ③タパス(苦行、忍耐)
 ④スヴァディヤーヤ(聖典などによる自己についての学習)
 ⑤イーシュヴァラ・プラニダーナ(神への祈念)
⑶ アーサナ(瞑想のための座法)
⑷ プラーナーヤーマ(呼吸法)
⑸ プラティヤーハーラ(感覚の制御)
⑹ ダーラナ(一心集中)
⑺ ディヤーナ(禅定、絶え間ない精神集中)
⑻ サマーディ(三昧、涅槃、解脱)

 この八支則の中のうちの三つ、タパス、スヴァディヤーヤ、イーシュヴァラ・プラニダーナを行うことを特にクリヤ・ヨーガと呼んでいます。クリヤは英語のclear(きれいにする)と混同しがちですが、これはサンスクリット語なので、実習という意味になります。これら一つ一つの段階については、また後の章で詳しく解説していきたいと思いますが、まずは用語としてご紹介しておきます。

 この八支則はヨーガの中でも特徴的な名称なので、どこかでお聞きになったことがあるかもしれません。インド独立の父マハトマ・ガンジーは(ガンジーがヨーガを実践していた事はそれほど知られていないかもしれませんが)、このラージャ・ヨーガの八支則についてよく言及しています。インドの独立に際しては、特にアヒムサー(非暴力)を行動の規範にして非暴力主義を訴えました。また、現代でも多くのグル(ヨーガの先生)がこの八支則について解説しています。

ラージャ・ヨーガの目的

 これからスートラを読むにあたって、まずはこのラージャ・ヨーガの目的を明確にしておきましょう。パタンジャリはスートラの冒頭から、ヨーガとは何かという結論を述べています。

それではヨーガを教えよう。
ヨーガとは心の働きを止めることである。

1章1~2節

 さて、いきなりの難問です。この、「ヨーガとは心の働きを止めることだ」とは一体どのような意味でしょう。ヨーガをポーズの練習だと思っている人は、まずこの言葉で大きな壁にぶつかることになります。スートラを最後まで読んでも、ポーズの話は一切出てこないからです。現代では多くの人がヨーガはポーズの練習だと思っていますので、スートラを読むためには、その固定観念を一度捨てなくてはいけません。

 では気を取り直して、もう一度「心を止める」という節について考えてみましょう。普通私たちは、心こそ自分の本質であると思っているので、「心が止まってしまうと、私は一体どうなってしまうのだろう」と不安になります。しかし、スートラは、
「いやいや。不安になるのは分かりますが、ぜひ心の働きを止めてください」
と言うのです。
では、質問を続けてみましょう。
「心の働きが止まったとき、その人はどうなるのでしょうか?」
スートラは答えます。
「そのとき、その人は悟ります」
「では、悟りとは何でしょうか?」
「悟りはサンスクリット語でモークシャと呼ばれます。この言葉は『自由になる、解放される』という意味です」
「では、一体何から自由になるのでしょうか?」
「それは苦しみです。苦しみや悩みから解放され、私たちは完全な至福を手に入れることができるのです」
これが、スートラの主張です。

 まずこのようにお話ししたのは、「心の働き止める」という不可解な言葉が、一体何を目的としているのかという点をはっきりさせる必要があるからです。つまり、心の働きが止まったとき私たちに何か利益がなければ、それを実践しようとする人は誰もいないでしょう。

 ですから、このヨーガの思想は私たちを苦しみから解放し幸福にすることを目的としている、という前提でこれから読み進めていきましょう。この本を読んでいる方の中に、「私はできるだけ苦しんでいたい、不幸になりたい」と思っている人はいませんよね? もしあなたが、「私は苦しみから逃れ幸福になりたい」と感じているとすれば、スートラを学ぶ価値は十分にある、ということになります。

なぜ心の働きを止めるのか?

 では、なぜ「心の働きを止める」ことが幸福につながるのでしょうか? 普通私たちは、心を喜ばせることこそ幸福の最大の条件であると思っています。恋人と遊園地でデートをしたり、友達と飲み会をしたり、美味しい食事をしたり、新しい洋服を買ったりすることで心は喜びます。このような喜びを得ることが一般的な幸福です。しかし、「心を喜ばせることでは幸福にはならない」と考えているのがこのヨーガ思想なのです。なぜなら、心は相対的に苦楽を生じるので、喜びを求めることで同時に苦しみを生み出しているからです。

 この点は非常に重要な問題なので、後の章で詳しく解説していきますが、喜びが苦しみの原因になるのであれば、常に喜びを追い求めている私たちは苦しみからは逃れることができないということになります。もちろん、泣いたり笑ったりすることが人生の面白さだと考えることもできるでしょう。全くトラブルの起きないドラマなど見ていて面白いはずがありません。しかしスートラは、このような苦楽が生じること自体もまた苦しみだと言っているのです。

この世界で生きることは苦しみ

 このヨーガの思想では、私たちは本質的に苦しみの世界に住んでいると考えています。もちろん、私たちは一般的にそれほど生きることが苦しいとは思わないでしょう。人生の中には当然、楽しみも喜びもたくさんあるからです。しかしパタンジャリは、この世で生きることが楽しいと思っている人は物事の道理を正しく知らないのであり、この世で苦しんでいる人の方が世界のあり様を正確に捉えていると述べるのです。

 仏教でも同じような考え方があります。初期仏教には四聖諦という教えがありますが、これは苦集滅道という四つの真理を表したものです。この四つの言葉の意味は、この世は苦しみである(苦)、その原因は執着である(集)、その苦しみを取り除くには執着を手放す必要がある(滅)、それは八正道*1による(道)、となります。つまり仏教でも、この世のあらゆるものは苦しみである(一切皆苦)という認識から始まるのです。これは、「この世は苦しいものなので悟りを求めましょう」というだけではなく、「この世が苦しいものだという真理を見抜けない限り、悟りに向かうことはできない」という意味で捉えることもできます。つまり、世界で楽しんでいる人は一般的に成功者だと思われていますが、そうではなく、苦しんでいる人の方が悟りには近いと考えることができるのです。

 ですから本書では、この世で悩み苦しんでいる人こそ成功者であるという視点でお話ししてみようと思います。この世で生きることは楽しいと思っている人は、物事に対して無関心であるか、美食やお酒やセックスなどの表面的な快感に酔っているか、あるいは若さなどの束の間の幸福に浸っているかです。結局それは一時しのぎのごまかしにすぎません。この世で生きることが辛いと感じているなら、その人は世界に対してむしろ真剣に向き合っているのです。

 こういった意味で、このスートラの教えは、世渡りが上手くこの世を楽しんでいる人のための教えではなく、不器用で物事を深刻に捉えすぎてしまう人のための教えだということになります。日本では毎年数万人の自殺者が出ていますから、自らの手で自分の体を傷つけてまでこの世を離れたいと感じている人がたくさんいることになります。こういった方は、世の中の深刻な面を捉えていて、生きることは辛いものだと考えているはずです。このヨーガの思想は、こういった人たちの悲観的な感情をむしろ歓迎しています。

 「私は生きるのが辛い、苦しい、死んでしまいたい」と言う人がいれば、スートラは、「なるほど、確かにあなたは正しく世界を見ている。それでは、その苦しみを取り除く方法について一緒に考えましょう」と言って、喜んでその人を迎え入れることでしょう。もしあなたが「人生は苦しいものだ」と感じているなら、そのとき真理への扉は開いていると言えます。苦しみの原因である心を探求する動機は備わっており、自分の心がどのようなものか把握したなら、今度はそこにある苦しみの原因を取り除けば良いからです。この動機こそ、何よりも重要です。

 それではこれから、私たちの悩みや苦しみがどのように生じているのか、どのようにその苦しみから解放されるのか一緒に考えていきましょう。

*1 八正道  ブッダの教えで、正見(物事を正しく見る)・正語(正しい言葉使い)・正業(正しい行い)・正名(正しい人生の目的)・正精進(正しい努力)・正思惟(正しい考え)・正念(正しい精神統一)・正定(正しい瞑想)の八つ。

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